赤部村うさぎ物語 始まり
ワシは通称ポン太仙人と呼ばれておる、兎だから仙兎か?まぁいいか。
わけあって雲界から降りて赤部という兎村でやきものを焼いて暮らしておる。
わしは最近つまらん、ぽっかり胸に穴が開いたようじゃ。
あのふわふわとしてむにゅむにゅとした感触、
甘くかぐわしい匂いがするあの子うさぎが巣立ってしもうたんじゃ、あ~あ。
さて、稀有な運命を持ってわしの所にやって来たその子うさぎの話を聞いてくだされ。
ここからは赤部村に伝わる兎の物語じゃ。
その1 巫女うさぎ
ある萬月の夜のことじゃ。
速く流れる一片の雲が現れた。
雲の上に凛(りん)とした姿で座っているのは雲界に棲む“巫女(みこ)うさぎ”じゃ。
何かとても急いでいる様子じゃ。
巫女うさぎは、長い年月 “月の神” に使者として仕えておった。
しかし、そろそろその役目を継ぐ者を探していた。
“月の神”とは、夜の静けさを守るため月に姿を変えた神様のことじゃ。
山奥にある月の宮に祀(まつ)られておる。
うさぎ達は月の神をうさぎの守り神として信じておった。
子供が3歳になると親子で険しい峠を越えてこのお宮に『3歳参り』のお参りをするのじゃ。
さて、巫女うさぎはその夜、なぜ急いでいたのか・・・・・
その日、あるうさぎの親子が三歳参りにやって来たのじゃ。
お参りの帰り道、峠に差し掛かったときにはもうすっかり日が暮れてしまっていた。
月の光に照らされて影が二つ峠を急ぐ。
すると向こうからフラフラとした影が二つやってきた。
大変じゃ! 飢えた狐の親子と遭遇してしまったのじゃ。
子狐は今にも倒れそうなぐらい弱っておった。
獲物を見つけた親狐の目は爛々と輝いた!
突然の危機に遭遇した母うさぎは震え上がった。
『 まだ幼い子うさぎと一緒ではとても逃げ切れない・・・』
・・・ ところがじゃ、なんと! 母うさぎは、全力を込めたうさぎ蹴りの一撃を放ったのじゃ!!
勇気を奮い立たせ 闘おう!と決死の決意じゃった!
親狐は?!まさかの先制攻撃に思わぬ痛手を負ってしまった。
しかし、親狐だって負けるわけにはいかない。
『食べ物が目の前にある、子狐に食べさせなくては!』
渾身のシッポむちを食らわせ反撃した。
・・・・・
狐は強く、うさぎも必死。
月の灯りの中、双方命がけで闘った。
キズだらけの母うさぎに限界が来た時、なんと子うさぎが崖下にすべり落ちてしまった。
母うさぎは切羽詰った。
深く傷つき今にも力尽きそうだった。
なんとかこの子だけは生きて欲しいと最後の力を振り絞って仁王立ちになり狐を見据えて静かに力強く母うさぎは言った。
「狐さん!お互い子を助けるためにはどうしたらよいか・・・私の言うことを聞いて・・・。
私があなたたちに食われてあげる、だからこの子を助けて!」
狐はその言葉に思わずうなづきこたえた。
「・・・そうか、わが子を思う気持ちは同じ・・・わかった・・・お前を食ったらその子助けてやると約束しよう」と言った。
狐は、自分も深手を負い限界だった、手ごわ過ぎると思った。
しかし何よりも、母うさぎの子を思う真の強さに動かされたのじゃ。
その言葉を聴いて母うさぎは安堵し、そして力尽き倒れてしまったのじゃ 。
闘いが終わり、静かになった峠を満月の光が照らしていた。
崖下には滑り落ちた子うさぎがいた。
手に月の宮でもらったお守りを握り締めていた。
子うさぎは声を振り絞って「お母さん・・・助・け・て・・・」と叫んだ。
・ ・・息絶える寸前の母うさぎにその声は届いた・・・
母うさぎは必死で月の神に祈った。
「この子・・・を・・・助けて」と。
そのかすかな声と祈りは、風に乗り月の光に導かれ月の神に届いたのじゃ。
月の神はすぐさま巫女うさぎに告げた。
『子うさぎを助けよ!』
・・・それでその夜、巫女うさぎは急いでおったのじゃ。
・・・月の光に影が二つ・・・狐の親子は去った・・・
巫女うさぎは息絶える寸前の子うさぎを見つけた。
懐から布袋を取り出し中の種を一粒口に入れた。
その種は雲界の“命の種“じゃった。
子うさぎは息を吹き返した。
巫女うさぎはこの子うさぎこそ自分の求めていた者だと直感した。
月の神の使者を受け継ぐ運命を持ったうさぎの誕生じゃ。
そして月の神は、この母うさぎの勇気と決断と深い愛を月に刻むことにした。
月にある影模様がうさぎなのはこんな経緯があったのじゃ。
そしてこの月のうさぎは、残してきた子うさぎに、他のすべての子供達にも!、食べ物を与えようと餅をついておるのじゃ。
こうして子うさぎを助けた巫女うさぎは、旧知の仲のワシの所にその子うさぎを連れてきたのじゃ。
「ポン太仙人、お願いがあって来ました。この子うさぎは自分のあとを継ぎとして、月の神の使者となる運命を持っているの。その日が来るまで育ててほしい。どうかあなたにお願いしたい」と。
ワシは、「むむ~、かなりの難題じゃの~、あなたのせつなる願いじゃ、まぁなんとかできるだろう、よし!引き受けよう」と子うさぎを預かった。
その2 赤部村
山間にある赤部村は世帯数30件の小さなうさぎ村。
ワシは何十年か前にわけあって、雲界から降りてこの村にやってきて『やきもの』を作っておる。
東の山は栗,椎,くるみ、クヌギの木があるのでリスやサルがやってくる。
南には杉、桧、松林でいろんな鳥が巣を作っている。
西には小川と畑。もちろんニンジン畑や青菜の畝が広がる。
北には池があり、水鳥が魚を取りに飛来する。
村の中は坂が多く家が隣接していて、それでも桜や梅、イチョウ、かえでが並木小道を作っている。
みかん、柿、イチジク、びわが点在している。
少し外れのうっそうとした森には月の宮赤部神社があり、ワシはその参道脇に陶房と窯を築き今ではすっかり村のうさぎ達と仲良く暮らしていた。
子うさぎを預かって1年が過ぎたころ、その子はワシを“とおさん”と呼び、あの命の種で助かる前のことは何も覚えていなかった 。
その子は月の夜になにを思っているのかよく月を見上げている。
その姿を村の誰もが知るようになると、空を見る子“ソラ”と名前がついた。
ソラは活発で、直感的に行動するうさぎじゃった。
呆れるほどの素直さは、すがすがしさを感じさせ、心の繊細さはキラキラ光るガラス細工じゃ。
誰もがほかのうさぎとはどこか違う不思議な印象を持つのだった。
その3 ロータスの釉薬
ワシは粘り強くじっくりと物事に取り組む性分じゃ。
自分の流儀をまっとうするのでがんこで浮世離れしていると思われているようじゃ。
しかし、融通は利くほうで、頼まれ事はたいてい受け入れてしまう・・・懐の深さはあるつもりじゃ。
ワシはソラに焼物作りを手伝わせていた。
時々、村の灰作りの名人“染めばあさん”のところへ頼んでおいた灰をもらいに行かせた。
灰は焼物の釉薬(うわぐすり)の原料になるんじゃ。
昔から糸や布を染めるには植物の灰を水でさらした上水の灰汁(あく)を使い、残った灰は焼物師が使う。
こうして焼物があるところには染物、織物があるという関係があり、そこには灰を作る名人がいるものじゃ。
名人は大抵おばあさんで、ゆっくりと時間を掛けて灰になるまで焼く。
そうすると黒い灰が出来、早く強い火で焼くと白い灰になる。
白い灰では良い釉にならん
この“染めばあさん”はよく居眠りをする。
その上時々焼いていることも忘れてしまう。
ところがたいしたもので、ちょうど良い時になると必ず目を覚ますので灰作りの名人なのじゃ。
染めばあさんは袋に入れた黒い灰をソラに渡しながら尋ねた。
「このどんぐりの灰はどんな釉薬になるのかね?」
「うん、透き通った空色でキラキラ光るってとうさんが言ってたよ」
「それは‘大抵やないこと’」
染めばあさんは‘大変な努力をして出来る物事’を‘大抵やないこと’という口癖があった。
ソラはその灰を陶房に持ち帰ると、秤で重さを量り決められた分量の石の粉と合わせ釉薬を調合する。
ソラは賢くてよく役にたつ子じゃ。
木の実の灰は透き通り青みがかった風合いになり、松だったら緑がかかり、りんごの木なら少し茶色のようにそれぞれの個性の色が出る。
灰だけでは溶けないので長石と合わせる。
”石は灰で溶かす” 釉薬の原点じゃ。
赤部村の神社
祭壇には古くから伝わる一対の御神酒徳利(おみきとっくり)があり美しい桃彩色(とうさいしょく)をしておった。
昔、月の宮の祭器を作るある焼物師がおった。
桃彩色の焼物はその焼物師が偶然に発見した釉薬で、しかも特別の焼き方には危険が伴った。
何度目かを焼いている時、その焼物師は有毒なガスを吸い込み死んでしまったのじゃ。
その後秘伝となった桃彩色の焼物は今では“幻の焼物”となった。
そのいきさつは古い中国に伝わる“辰砂の壷”の話に良く似ておる
・・・ある陶工が皇帝に納める壷を焼いている時、肝心のところで窯の具合が悪くどうしようもなくなってしまった。
これではまともな壷が納められず首をはねられる事になると絶望した陶工は窯の蓋を壊し中に飛び込んだ。
弟子達は仕方なく焼き上げることにして蓋をした。
するとモクモクと黒い煙が立ちのぼった。
とにもかくにも苦労の末焼き終えた。
数日後窯を開けてみるとなんとこれまで誰も見たことの無い真っ赤なすばらしい壷が焼きあがっていた。
もちろん皇帝も絶賛した。
これこそ還元焼成の発見じゃった。
それまでは銅を使って青く発色させていた釉薬が還元焼成では赤い辰砂と呼ばれる色になる。
赤部村では月の1日と15日に村の当番が桃彩色の御神酒徳利のお神酒を入れかえておった。
不思議なことにこのお神酒で傷や病気が治るのじゃ。
ところが大変、当番がウッカリ片方の御神酒徳利を割ってしまった。
困った当番は村の長老達に相談してワシのところに同じ徳利を作れないかと頼みにきたんじゃ。
「むむ~、大変な難題じゃが引き受けるとしましょう、しかし、かなり日にちがかかりそうじゃが」とワシはまたまた難題を引き受けてしまった。
実はワシは師匠だった焼物師から“幻の焼物”の釉薬のおおよその話は聞いていて、
焼き方は燻(いぶ)し焼にすると良いと自分なりに考えておったのじゃ。
この桃彩色の釉薬(うわぐすり)には雲界のロータスの葉っぱの灰が必用じゃった。
ワシは何十年かぶりに雲界に行かなければならなくなり、良い機会だからソラを巫女うさぎのところへ連れて行くことにした。
「ソラ、とおさんと雲に乗って雲界に行く時が来た、よく話を聞いておくれ」
「えっ!とおさん、雲に乗れるの?」
「そうだよ、お前も雲に乗れるのだよ、まあ聞きなさい」
いよいよソラの誕生のいきさつと、ロータスの命の種の力の話をして、月の神の使者となる運命を持っている事を告げる時が来たのじゃ。
話し終えるとソラは
「そうだったの!月のうさぎさんは私のお母さんだったのか、だからいつもお月様は私に話しかけてくるのか!」
とソラは目を輝かせ、初めて自分の境遇を理解した。
そして数日後、準備を整えて
「さあ、雲界に行こう!」
と空に向かって雲を呼ぶ合図をした。
すると空からワシの雲がスーと降りてくるのじゃ。
その雲に乗ってワシらは雲界へと旅立った。
その4 雲界のロータス
不思議なことに雲界に棲む者は年をとる事はない。
巫女うさぎは使者となってから、かれこれ千年が経つ。
自分の後を継ぐであろうあの子うさぎがやってくるということで、
巫女うさぎは首を長くして待っておった。
そして、ついに再開の時をむかえた。
「ウフッお久しぶりね、ソラさん。あなたに会うのを楽しみにしていたの。可愛いうさぎさんになっていて、とっても嬉しいわ。よくきたわね、ウフッ」
声には深い愛情の響きがあった。
その姿は威厳に満ち、まなざしは慈愛に溢れていた。
話す時 ’ウフッ‘と言うのが口癖じゃ。
こうして巫女うさぎとの再会を果たした時、ソラは自分の運命を直感的に悟ったようじゃ。
久しぶりに雲界に戻ったワシは雲界にいたころの話をしながら上層のロータスの園へとやってきた。
そこは見渡す限り美しい桃色の花が咲き、
深い緑の葉っぱが花唐草を織り成し、甘い香りに包まれていた。
ところどころ雲の切れ間のように見えるのは真っ青な池じゃ 。
ソラは楽しそうに走り回ると、朝露のように冷たい雲のしずくが頬にあたった。
風に揺られて葉っぱの露もキラキラ光る真珠のようじゃ。
ワシは必用な分だけ葉っぱを集め終えると
「さあ、戻って染めばあさんに灰を作ってもらおう」
とソラに呼びかけた。
すると
「とおさん、お願いがあるんだけど、しばらくここにいていい?」
と言い出した。
一緒にいた巫女うさぎが
「ウフッ そうね、そろそろ修行を始めてもいいころだね、私が預かるからいいでしょ?ウフッ」
「ん~、まだ早いかと思うが巫女さんがそう言うならしかたがない。では桃彩色のお神酒入れを完成させるまでの間お願いするとしようか。むむ~なんだか寂しいがね」
こうしてソラの雲界での月の神の使者となる修行が始まったのじゃ。
もっと上層の園には命の種があること、そこへ行くためにはもっと難しい雲の乗り方を習得しなければならないことなど、まず雲界を知ることから始まった。
やがてうまく雲に乗れるようになると行動範囲が広がる。
大きなロータスの葉っぱの上で休むと不思議なことに眠ってしまうことや、雲界の池に釣り糸をたらすと、望む魚が釣れたり、毎日が楽しくて時の経つのを忘れた。
修行を通じて巫女うさぎは、ソラの清廉潔白純真無垢さに感銘した。
心はとても弱いかと思えばある時はとてつもなく強くなったりで、心のひだは複雑に変化して、やがてその深淵の奥深さに魅せられたのじゃ。
その5 陶亀(すえがめ)
ワシは灰に合わせる良い石が見つからなくてもう半年近く釉薬作りに苦労していた。
どこで手に入れたらよいかさっぱり手がかりがなかった。
ある日気分転換に村の天竜池で釣りをしていたら、水面の波紋から大亀が現れた。
この亀は池の主と呼ばれておって何時からどうしてこの池にいるのか誰も知らん。
その姿はしわが深く甲羅(こうら)が陶器のようなので“陶亀(すえかめ)”と呼ばれ、
シッポには毛があり力強い姿をしておった。
目はつぶらで優しく、しかしその奥から長い時間を見通すような眼力を感じさせた。
たまに陸に上がって甲羅干しをしている時は、通りがかるだれ彼無しに<ちょいとそこのお方>と話しかけておった。
どうも何か誰かを待っている様子でじゃ。
ワシとは顔見知りになっておったんじゃが、やっぱり
「ちょいとそこのお方、何だか困っているようじゃの」と陶亀が尋ねた。
ワシは釉薬に使う石を探していることを話した。
すると陶亀が言った。
「そうかの、探し物なら『竜の釣竿』を使えば見つけられるはずじゃ」
「えっ!『竜の釣竿』って“ひげ神”が持つ釣竿のこと?」
「そうじゃ、すぐそこにあるからそれを使えばよいがのぉ」
さて、ひげ神とは、あの竜宮へ行った浦島太郎のことなんじゃ。
実は竜宮から戻った太郎はその後、失ってしまった時間と自分を探し求める旅をした。
しかし途中で力尽き倒れてしまったのじゃ。
ひげ神の旅
その姿を哀れと思った神々は、太郎が死ぬ間際に玉手箱の最後の力でひげ神に姿を変えてやったんじゃと。
そしてモノ探しの霊力のある“竜の釣竿”を授けたのじゃ。
それから間もなく太郎に助けられた亀がひげ神を助けるために再びやってきた。
ひげ神は亀の甲羅に乗り探し物で困っている人を助けながら旅を続けたそうじゃ。
「では、ひげ神がここに?」と尋ねると陶亀は困った様子で答えた
「困ったことにのぉ、ひげ神は乙姫様が恋しくなってまた竜宮に行ったまま帰ってこないのじゃ。
もう何十年も経つからきっと前のように時を忘れて遊んでいるに違いない。
じゃが、竜の釣竿をそこの竹林に突き刺したまま置いていってしまった。
あの釣竿は月の神が竜のひげで作ったものでモノ探しの霊力があるのじゃ。
あんたなら釣竿の力を使えるはずじゃ」
こう言って陶亀はワシに竜の釣竿を貸してくれた。
ワシは雲に乗り竜の釣竿に導かれて険しい岩山が幾つも連なるところに辿り着いた。
山肌が白っぽく見えるのは花崗岩で、降り立つと風化してぼろぼろとしていた。
「うん!ここには探していた石が有りそうだ」
こうして持ち帰った石で調合を繰り返すうちに釉薬は見事な桃彩色を発色した。
ワシはようやく御神酒徳利完成のメドが立ったところで天竜池の陶亀に釣竿を返しに行った。
すると陶亀は
「ひげ神はまだ当分戻ってこないじゃろうからの~、釣竿はあんたが持っていてくれんかの~。ところでお願いじゃがのぉ、ワシも雲界というところに連れて行ってもらえんかの~?」
またまた難問が降りかかった。
でも今度は大丈夫じゃ。
千年以上生きた者は雲界で暮らせると言われておった。
「あんたは何歳ですか?」
「んむ~千歳は越えているようじゃが?」
「それなら大丈夫、きっと私の雲にも乗ることが出来る。
桃彩色の御神酒徳利を焼き上げたら一緒に雲界に連れて行ってあげるよ。
ちょうど行く用事があるからそれまでもうしばらく待っていておくれ」
というと 陶亀は
「おおそうかの!楽しみに待っておるぞ」
と嬉しそうに意外な速さで池に潜っていきおった。
その6 竜さん
それからまた半年が過ぎ、無事御神酒徳利(おみきとっくり)を神社に奉納し、
陶亀を連れて雲界にやってきた。
巫女うさぎは微笑んでおったが、なにか困った様子じゃった。
「ソラは元気でやっておるかの?」
と尋ねた時、突然下から閃光と突風を伴い竜が目の前を突っ切って上層へと消え去った。
陶亀はひっくり返りくるくると回り、巫女の長い耳もくるくるとねじれてしまった。
ワシのひげもちぎれて宙を舞い、尻餅をつきながらもその瞬間、
ソラが竜の角にしがみつき笑っている姿を確かに見たのじゃ。
「今竜にソラが乗っていたね?何があった?」
巫女うさぎは
「あ~らまぁ、ウフッ やっと姿を現したわ」
といってホッと息を吐き、ねじれた耳を元に戻し、すまし顔でソラの修行の様子を話し始めた。
「とにかく素直に言われたとおりにやる子で、どんな事にも積極的で苦しさをも楽しんでしまうすごい子でしたウフッ。
怖い時にはガタガタと振るえ、励ますとイッキに勇気を奮い立たせ、出来ないことは何度でもやり直しあきらめようとしません。
何よりも私の意図を鋭く察知できる子だったので驚くほどの成長ぶりです。
そして思いもしなかった事に私自身がソラから学んだのですウフッ。
ソラは真っ白なキャンパスみたいでなんでも吸収してしまうから教える者の心が、力量が、すべてが、キャンパスに映し出されてしまって
・・・ウフッ 私は自分が試されていると気が付きました。
月の神が私に与えた最終の課題が“清廉潔白純真無垢"という事の真の意味と、その強さを知ることだったのだと、
ソラの修行から悟ったのです。
ところが一ヶ月前のこと、私の友達の竜がやってきたのでウフッ、ソラの事を話すと、よしっ、じゃあ一緒に遊ぶとしようと言うのです。
竜は海中では姿形が無く、海から出ると竜巻と雷ともに姿を現し、空に雲を湧き起こす恐ろしい姿の霊獣です。
もちろんソラは竜を見て震え上がって凍り付いていましたよウフッ、 でも彼女のシッポはぷるぷる激しく動いていました。
犬もそうだけどどんなにすましていても嬉しいとついついシッポを振ってしまう習性があるのねウフッ、
彼女の本能は興味津々、胸わくわくだったようです ウフッ。
彼女は竜に誘われるとすぐさま一緒にどこかへ行ってしまいました。
実は今さっき姿を見せたのがそれ以来のこと、無事でほんとうによかったわウフッ」
ワシはソラの想像を超える成長ぶりを聞いて頼もしく思う反面、可愛いだけでなくなった事に少し寂しい気持ちがした。
とにかく早く会いたくて探しに行こうとしたその時
「わっ!やっぱりとおさんだ」
という声がして、ソラが上層から勢いよく雲に乗ってやってくると、その勢いのままワシの胸に飛び込 んできおった。
激しくあたったにもかかわらず、ハシッっと身が軽く痛みはなかった。
ふかふかとした赤ちゃんの時とは少し違うけれど甘くいとおしい匂いがしてそのまま抱きしめた。
その目は雲界の池のように青く透き通る深さを感じさせた。
「竜さんと何処へ行ってたんだね?」と尋ねると、ソラはいっきに話し始めた。
「最初は大きな滝に行ったんだよ。上は雲まで届いていて、そこには登竜門というのがあってその門にたどり着いた者は竜となって竜宮に棲み海の主になるんだって。
実は、竜さんは昔は鯉だったんだって。
仲良しだった動物達とその門に挑戦したんだって。
それは大変な冒険になってしまって他の皆は門に到達するまでに滝に呑まれてしまったんだけど鯉だけが到達できて竜になったんだって。
鯉だった竜さんは最初、仲間は皆死んでしまったと思い込んで神々をうらんで大暴れをしたんだって。
暴れん坊で神々を困らせていたら、とうとう怒った神々に巨大な雷を落とされてしまったの。
大怪我をして何日も雲界を漂っていると、ある満月の夜たまたま巫女うさぎさんが見つけて月の神に助けを求めてくれたの。
月の神は竜の心に触れ邪心を解きほぐして、その姿を月に映し出したんだって。
するとその姿は、頭はらくだで角は鹿、手のひらは虎で爪は鷹、耳は牛で体は大蛇、体のうろこは鯉だったんだって。
仲間が皆一緒だったと知った竜さんは月の神に感謝してお礼にと自分の霊力のあるひげを月の宮に奉納したんだって。
それが縁で竜さんと巫女うさぎさんは仲良しになっったんだって。
そのあとは竜さんちの竜宮へ行ったんだよ。
歌や料理が得意なとってもカワイイ乙姫様から色んな料理を習ったよ。
それと鼻を真っ赤にしたひげ神様が楽しそうに酔っぱらっていて、乙姫様や亀さんとの昔の話をしてくれたよ。
竜に乗って
それから今日はね雲じゃなくて竜さんの背中に乗せてもらったの。
ものすごい速さだから振り落とされないように頭の角にしがみついて
雲界を飛んでいたの。
そうしたらとおさんがいたから竜さんにさよならして戻ってきたんだよ」
と竜とのことを一気に話した。
話すソラの瞳はロータスの葉の露のように輝いておった。
「そうか、ひげ神に会ったのか。ここにいる亀さんがその話の亀さんだよ。心配していたんだよ」
陶亀は苦笑しながらもやっぱりかとあきれていた。
ワシは竜がソラの素質を一目で見抜いたからあちこち連れて行ってくれたんだと理解できた。
ソラの話を聞き終えた巫女うさぎはこれで自分の役割は終わったと思ったようじゃ。
大きくのびをすると
「ウフッ 私のそらみこへの修行は終わったようね。後はあなたのところから巣立つ時を待つことにします。その時が楽しみねウフッ」。
その7 お坊様の大飯茶碗(おぼうさまのおおめしちゃわん)
赤部村に帰ったソラは焼物作りが楽しくて首飾りやボタンまで作るようになった。
白い器を作る時には、作った器が乾燥する前に白泥を全体に掛けていた。
白泥を作るには手間がかかる。
擂(す)らないで、細かい篩(ふるい)に通す。
それは大変な苦労じゃが、
擂って作った白泥は生地に良く馴染まず焼いた後で剥がれてしまうんじゃ。
ソラは面倒くさがらずにこの作業を丁寧に仕上げた。
そして村の子うさぎ達とも仲良く遊でいたのじゃが、
誰かが喧嘩をするといつも仲裁役はソラで、
不思議とうまくおさまるので、大人うさぎ達にも一目置かれる存在となっておった。
ある日のこと
昼間なのに空はどんよりとして暗かった、今にも雨が降り出しそうな日であった。
衣はぼろぼろで薄汚れ、いかにも貧相な一人の旅の僧侶が隣村で辻説法をはじめた。
誰も聞くものがいなくて、そのうちに村から出て行けと追い払われてしまった
その僧侶は夕刻になって赤部村の入り口あたりに辿り着き辻説法をはじめた。
ちょうど子うさぎたちが遊んでいて帰るところだった。
子うさぎたちはその僧侶を気味悪く思い逃げ帰ってしまう。
その中にいたソラだけは僧侶の顔を覗き込むように見上げていて、しかししっぽはプルプルと動いていた。
「お坊様、お腹へっていない?」 ソラが聞いた。
「ん、腹ペコじゃ、この茶碗に何か下さらんかの」と懐から茶碗を差し出した。
ちょうどそこへ村の長(おさ)がやって来たのでソラは、
「このお坊様に休んでもらって、何か食べ物を差し上げたいの。」と
長(おさ)に頼み込んだのじゃ。
「これはお坊様、大変お疲れのようですね、ようこそ赤部村へおいでなされた、もう日が暮れるし、雨が降りそうじゃからどうぞお泊まり下され。」
と、村の念仏道場へ案内をして、村の者を呼び夕餉(ゆうげ)を施(ほどこ)した。
僧侶は、うまいうまいと言って、茶碗のめしを何杯も、何杯も驚くほどおかわりをした。
僧侶はうさぎ達に感謝のお経をとなえ休んだ。
その夜は誰も経験した事の無いような大変な大雨となり、なんと隣村は大きな被害を受けた。
ところが、不思議なことに赤部村には何の被害も出なかった。
翌朝になるとからりと晴れ、僧侶は、
「今度からも大雨が降ってもこの村は心配無用じゃ、お世話になった、ありがとう」
そう言って懐にあった茶碗をお礼にと置いて次の村へと去った。
それから赤部村では、
大雨のときにはその茶碗にめしを大盛りにしてお経を唱えるようになり、
不思議と雨の災害はおこらなくなった。
うさぎ達はその茶碗を「お坊様の大飯茶碗」と呼んでいる。
ワシだけは気がついておったんじゃが、
その茶碗は薄汚れてはおったが、確かに桃彩色の釉薬(うわぐすり)で焼かれておったのじゃ。
たぶん、その僧侶は雲界からやってきたのじゃろう、きっとそうじゃな。
その8 終章 稲荷の祠(ほこら)
最近村の神社のお供え物が何者かに食われることがたびたびあり、疑われたのは森のサルたちで、そうなるとサルとうさぎの関係は険悪になった。
そしてある満月の夜のこと、神社のほうからぎゃんぎゃんと鳴く声がするのでうさぎ達が見に行くと仕掛けた罠に狐が掛かっていた。
サルたちもやってきて
「こいつが犯人だったのか、こいつのせいで疑われたのだ、やっつけてしまえ!」
といって襲い掛かった。
その時、月の神がソラに告げたのじゃ。
「その狐を助けよ!」と。
ついに月の神の使者としての最初の使命がきたのじゃ。
ソラは急いで神社に走り
「やめて!月の神からその狐を助けなさいとお告げがあったの」と叫んだ。
するとその声に不思議とサルたちは静まり、ソラは大怪我をしてうずくまっている狐に御神酒徳利の神酒を飲ませた。
その時、ふと狐の首に自分のものと同じお守りがかかっていることに気がついた。
「そのお守りはどうしたの?」とそらみこが尋ねると
「何年か前、わたしの母があるうさぎさんと闘って勝った時に譲り受けたお守りです」
「えっ!お母さんはどうしたの?そのうさぎさんはどうなったの?」
「母もその時の怪我が元で何日かして死んでしまったのです。実はそのうさぎさんが息絶える直前に持っていたお守りを母に手渡したのです」
なんとソラ達があの峠で遭遇した狐だったのじゃ。
その時の出来事はソラの記憶には無かったんじゃが、
ワシから聞いていた話でそのうさぎこそ自分の母だと悟った。
「狐さん、そのうさぎは私のお母さんなの」
狐は驚いた。
あの時崖下に滑り落ちた子うさぎだったとは、そのうさぎに助けられるなんて、もうどうしたらいいか、なんと言ったらいいのか頭の中が真っ白になった。
ところがソラは意外な事を言いだしたんじゃ。
「狐さん、お願いがあるの。そのお守りを私にください。そしてうさぎとお猿の皆さんにもお願いがあります。
私の母さんと狐さんの母さんの供養のためにここに祠(ほこら)を作りこのお守りを祀(まつ)って下さい」
と、皆は驚いたがその言葉には強い説得力があった。
そして次の日、サル達までが手伝って祠(ほこら)を作りお守り札を祀(まつ)った。
狐はお神酒の力でケガも回復して皆に感謝して去っていった。
それから、その祠が出来てからはうさぎが狐に襲われることは無くなったのじゃ。
祠は“稲荷の祠”と呼ばれるようになり、うさぎ達はお供えを絶やすことはなかった。
こうして周囲の誰もが、どこか不思議で可愛くて、清廉潔白純真無垢でへんてこな稀有な存在の子うさぎに魅せられたんじゃ。
そして間も無くソラは月の神の使者となってワシのもとから巣立ったのじゃ。
《さて、ずいぶん先の話なんじゃが、ソラは、ようやく使者の役目を終えたその日から、誰もその姿を見たものがいないんじゃと。
実は・・・月の影模様をよ~く見てくだされ。
《 餅をつくうさぎが微笑んでいて、足元あたりに子うさぎがいる事に気が付きなされたかの?》
これでおしまい。
【赤部村風景】